はじめに──「新しい思想」ではなく、歴史の中で鍛えられてきた設計原理
自律・分散・非同期という言葉は、しばしば未来志向のバズワードのように語られますが、その実体はまったく逆です。 これらは、長い歴史の中で繰り返し現れ、危機や不安定さを乗り越えるための構造として磨かれてきた、ごく「地味な」設計原理にすぎません。
重要なのは、これらの原理が最初から理論として存在していたのではなく、 現実の制約条件の中で、安定して動き続ける仕組みを作ろうとした結果として立ち上がってきたという点です。 そして、世界が再び分断と不確実性を前提とする局面に入った今、これらの設計原理は「理想論」ではなく、 現実に耐えるための解として再評価されていると言えます。
集中と分散を繰り返す人類史
人類の社会構造や技術体系を俯瞰すると、「集中」と「分散」が波のように繰り返されていることが分かります。 王権や帝国のような中央集権と、都市国家や地方分権のような分散構造。大型コンピュータとパーソナルコンピュータ。 これらはすべて、集中と分散の振動の一部です。
集中は、効率と統一性をもたらしますが、単一障害点を作り出し、環境変化に対して脆弱になりがちです。 一方、分散は、柔軟さと多様性をもたらしますが、調整コストや複雑性が増大します。 現実のシステムは、この二つの極の間を行き来しながら、バランス点を探り続けてきました。
自律・分散・非同期という設計原理は、この長い歴史の中で、 「集中」と「分散」の両方の弱点を最小化しつつ、安定して動き続ける構造として現れてきたものだと捉えることができます。
複式簿記という「自律・分散・非同期」の象徴
自律・分散・非同期の代表的な実装例として、まず挙げられるのが「複式簿記」です。 複式簿記は、単なる会計技術ではなく、権限と責任を分散しながら、全体としての整合性を保つための構造です。
例えば、企業会計を考えてみると、
- 各部署がそれぞれの取引を記録する(部分的な自律性)
- 貸方と借方の二重記録により、整合性が自動的にチェックされる(分散された整合性維持)
- 記録は時系列で蓄積され、後から監査や分析が可能になる(非同期な検証)
ここで重要なのは、中央に「すべてを知る管理者」が存在しなくても、仕組みそのものが矛盾を検出し、 全体の整合性を保つように設計されている点です。これは、自律・分散・非同期の典型的な構造と言えます。
現代の会計基準や内部統制の議論は、この「構造」が長い時間をかけて磨かれてきたことの上に成り立っています。 つまり、複式簿記は、集中管理ではなく構造による制御の代表例なのです。
ATOSに見る自律分散制御の実装
自律・分散・非同期のもう一つの代表的な実装が、鉄道の運行管理システム「ATOS(Autonomous Decentralized Transport Operation Control System)」です。 ATOSは、首都圏の複雑な列車運行を支える中枢システムとして知られています。
従来の集中型運行管理では、中央指令が全列車の運行状況を把握し、指示を出す構造が取られていました。 これは平常時には効率的ですが、障害や大規模災害が発生すると、中央の負荷が急増し、全体が破綻しやすくなります。
ATOSは、この前提を反転させました。
- 線区ごとに自律した制御装置を配置し、ローカルに最適な判断を行う
- 各線区は必要な情報だけをやり取りし、全体として協調動作する
- 障害が発生しても、その影響をできるだけ局所にとどめる
これにより、システム全体は自律・分散・非同期の構造を持つようになりました。 中央はすべてを直接制御するのではなく、あくまで全体状況の把握と方針提示に徹し、 実際の制御は各ローカルなエージェントが担います。
ここでも、自律・分散・非同期は「最新のバズワード」ではなく、 現実の制約条件の中で、より安定した運行を実現するために選ばれた設計原理であることが分かります。
現代のデジタルインフラが抱えるギャップ
皮肉なことに、現代のデジタルインフラの多くは、表面上は「分散」「クラウド」「エッジ」といった言葉で語られながら、 実際の制御構造はむしろ中央集権化に向かっています。
巨大なデータセンター、特定クラウドへの集中、単一ID基盤への依存。 これらは一見すると効率的ですが、障害やサイバー攻撃、地政学的リスクといった不確実性が高まるほど、 単一障害点としてのリスクを増大させます。
つまり、自律・分散・非同期という設計原理が歴史的に何度も選ばれてきた理由は、 「かっこいいから」でも「新しいから」でもなく、 不確実性の高い環境でも全体が破綻しない構造だからです。 その意味で、現在のデジタルインフラは、歴史から学ぶべきポイントがまだ多く残されていると言えます。
オフグリッド/パーソナルエナジーと自律・分散・非同期
当社が開発してきたオフグリッドシステム「パーソナルエナジー」は、まさに自律・分散・非同期という歴史的な設計原理を、 エネルギーインフラに適用したものです。
従来の電力システムは、大規模発電所と集中制御を前提とした構造でした。 これは高度成長期のように、需要が右肩上がりで、前提条件が比較的安定している時代には合理的な設計です。 しかし、災害リスク、地政学的リスク、サイバー攻撃リスクが同時に高まる現在、 中央集権的な構造だけでは、社会インフラとしての安定性を維持しにくくなっています。
オフグリッド/パーソナルエナジーは、
- 主電源と制御をローカルに持ち
- 外部系統とはあくまで必要な範囲でのみ連携し
- 障害が発生しても、その影響を局所に閉じ込める
という構造を取り、この意味で、複式簿記やATOSと同じ系譜にある「自律・分散・非同期」システムだと言えます。 エネルギーという最も基盤的なインフラにおいて、この設計原理を実装することが、これからの時代における 持続可能性とレジリエンスの前提条件になると考えています。
おわりに──「新しい」ではなく「残り続けた」構造としての自律・分散・非同期
本稿で見てきたように、自律・分散・非同期という設計原理は、決して新しいアイデアではありません。 むしろ、長い時間をかけて現実の試練にさらされ、それでもなお残り続けた構造です。
複式簿記に代表される会計の世界でも、ATOSに代表される鉄道システムでも、 共通しているのは「単一の中央を絶対視しない」という姿勢です。 それぞれの要素が自律し、分散し、非同期で動き続けるからこそ、全体としての安定性が高まります。
エネルギーインフラにおいても同じです。 パーソナルエナジー/オフグリッドというアプローチは、単に新しい技術を導入することではなく、 歴史の中で繰り返し選ばれてきた設計原理を、現代の制約条件のもとで再実装する試みです。 自律・分散・非同期は、これからの不確実な時代において、「選ぶかどうか」ではなく、 採用しなければならない前提構造になっていくと私たちは考えています。