1. 「海外では成功している」という反論は成り立つか
系統用蓄電池への批判を口にすると、ほぼ確実に持ち出されるのが次の反論です。
「カリフォルニア州やオーストラリアでは系統用蓄電池が機能している。
日本も同じ方向に進むべきではないか」
一見もっともらしく聞こえますが、この指摘は制度・市場・前提条件の違いを無視した“表面比較”です。 同じ「蓄電池」という装置でも、どの制度の上で、誰の責任で、どのようなリスクを取って動いているのかが決定的に違います。
まずは、象徴的に語られるカリフォルニア州と南オーストラリア州の事例を簡単に整理してみます。
2. カリフォルニア州──ダックカーブと蓄電池の「事業装置」化
カリフォルニア州では、太陽光発電の大量導入により「ダックカーブ」問題が顕在化し、 日中の余剰電力と夕方の急激な需要増をならすために、短時間・高頻度の調整力が必要になりました。 この文脈で系統用蓄電池が導入され、ピークシフトや周波数調整で一定の成果を上げていること自体は事実です。
しかし重要なのは、カリフォルニア州では次のような前提が徹底されている点です。
- 再エネ事業者が市場参加者として明確な責任を負い、出力予測とインバランスのコストを引き受ける
- 卸電力市場・調整市場・容量市場が高度に統合され、蓄電池も一つの収益を追うプレイヤーとして扱われる
- 需給が逼迫すれば価格は即座に跳ね上がり、リスクを取った事業者ほど高収益を得られる
つまりカリフォルニアにおける蓄電池は、 「系統を救う公共装置」ではなく、「価格変動から利益を得るための事業装置」です。
補助金と制度保護を前提に「安定供給をなんとか支える」役割を割り振られている日本の系統用蓄電池とは、 そもそもの立ち位置がまったく違うと言わざるを得ません。
3. 南オーストラリア州──「完全安定」を目指さない系統運用
南オーストラリア州では、再エネ比率の急上昇と連系線トラブルなどが重なり、大規模停電を経験しました。
その反省から導入されたのが、テスラの大型蓄電池
(Hornsdale Power Reserve)です。
高速な周波数制御と応答性により、象徴的な成功事例として世界的に知られるようになりました。
ただ、ここでも見落としてはならない前提があります。オーストラリアでは、
- もともと系統が脆弱であることを前提に、分散型リソースを積極的に活用する
- 系統運用者が「停電ゼロ」「周波数完全維持」を目標にしていない
- 需給逼迫時には市場価格が極端に跳ね上がることを許容している
このようなリスク許容型・市場志向の制度のもとでは、蓄電池は「欠陥を隠す装置」ではありません。 むしろ、欠陥とリスクを前提に高い収益機会を取りに行く装置として機能します。
蓄電池の優秀さが成功を生んでいるというよりは、 制度と価格メカニズムが蓄電池を活かすよう設計されていると理解する方が適切です。
4. 日本ではなぜ「同じ絵」が描けないのか
では、日本はどうでしょうか。日本の電力システムは、 カリフォルニアや南オーストラリアとは根本思想が異なります。
- 停電回避が絶対命題であり、電力の安定供給は「公共的義務」として系統側に課されている
- 価格による需給調整は弱く、ピーク時でも「生活インフラ」としての配慮が優先される
- 再エネ事業者の需給責任は限定的で、インバランスや調整コストは広く社会に分散される
この前提のもとで導入される系統用蓄電池は、 カリフォルニアやオーストラリアのような「事業装置」ではなく、 公共補填装置=制度の歪みを埋める装置にならざるを得ません。
したがって、海外の成功事例は、
「蓄電池そのものが優れている」ことを示しているのではなく、
「市場と制度が蓄電池を活かせる構造になっている」ことを示しているにすぎない。
制度思想が正反対の日本において、「海外では成功している」という主張は反証にはなりません。 むしろ、日本がいまだ制度転換を先送りしていることの裏返しだと見るべきでしょう。
5. 現実が示した「系統用蓄電池バブルの末期症状」
2025年12月24日、象徴的な出来事がありました。
系統用蓄電池事業を手がけていた大手総合商社系の子会社が、事業収益化のめどが立たないことを理由に、
設立からわずか数年で解散を正式に発表したのです。
個別企業の事情と片付けることもできますが、ここで注目すべきは、 社内で継続不能と判断されたタイミングと、外部向けの事業アナウンスとの差です。 内部では撤退シナリオが進んでいる一方で、外部には新たな技術提携や製品展開が語られていたとすれば、 それはすでに「健全な成長期」ではなくバブル末期の様相を帯びています。
同じ時期、市場には別の不可解な話も流れていました。従業員数がごく少数の事業者が、 出力80MW級、数十億円規模の系統用蓄電池プロジェクトを開発するという計画です。 エネルギー事業としての実績や運用体制が十分に確認できないにもかかわらず、 「脱炭素」「系統安定化」という言葉とともに語られていました。
冷静に見れば、通常の投資判断や与信審査では極めて慎重になるべき案件です。 にもかかわらず成立しているように見える背景には、いくつかの構造要因が重なっています。
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補助金ありきの事業設計
初期投資の相当部分を公的資金が負担することで、事業リスクの大半が“見えなくなる”。 -
ブランドと信用の「付け替え」
小規模事業者に対し、商社や海外メーカーの名前が重なることで、 実態以上に堅牢なプロジェクトに見えてしまう。 -
責任主体の細分化・分散
発電事業者、蓄電池メーカー、EPC、アグリゲーター、補助金主体が分かれ、 事業が失敗したときに誰がどこまで責任を負うのかが曖昧になる。
これは、典型的なグリーンウォッシュの末期症状と言えます。 「環境」「脱炭素」という大義が強調されるほど、事業の実体や持続性への検証が甘くなる。 そして限界が見えた段階で、撤退や解散は静かに進められます。
重要なのは、こうした動きが決して例外ではないという点です。 系統用蓄電池が「再エネ政策の最後の受け皿」となった結果、本来であれば成立しない案件まで吸収してしまっている。 そのツケを、これから市場全体で精算していくフェーズに入ったと見るべきでしょう。
6. これから起きる「大掃除」と、その先に残るもの
すでに、いくつかの動きは始まっています。
- 補助金スキームの精査と、効果検証にもとづく予算の絞り込み
- 商社・金融機関による、蓄電池案件ポートフォリオの整理と撤退
- 実体を伴わない「看板案件」の見直し・棚卸し
これは偶然ではなく、制度とビジネスモデルが抱えていた歪みの構造的な帰結です。 蓄電池は、系統問題を解決するどころか、問題を先送りし、見えにくくしてきた側面があります。 その役割が限界に達しつつあるからこそ、「大掃除」が始まっているのです。
当事者としてこの過程を見てきた立場から言えば、これは悲観すべき状況ではありません。 むしろ、ようやく本質的な議論が可能になる段階に入ったとも言えます。
- 自律分散できない再エネ
- 責任を伴わない発電
- 補助金に依存した蓄電池
この組み合わせに、長期的な持続可能性はありません。
系統用蓄電池は、本来あるべき電力システム改革の“代替物”ではない。
今回の一連の動きは、その事実を市場が自ら証明し始めた兆候だと考えています。
これから求められるのは、「蓄電池をどう積み増すか」ではなく、 どのような制度と責任分担で、自律したエネルギーシステムを設計し直すかです。
7. まとめ──「盗人に追い銭」で終わらせないために
海外事例の表面だけをなぞり、制度の歪みを抱えたまま系統用蓄電池を積み上げても、
日本の電力システムは持続可能にはなりません。
今まさに起きている撤退・解散・案件整理は、そのことを示す自然な修正プロセスと捉えるべきです。
- 「海外では成功している」という主張は、制度条件を無視した比較にすぎない
- 日本の系統用蓄電池は、市場装置ではなく公共補填装置として肥大化してきた
- 補助金依存・ブランド頼み・責任分散という構造は、グリーンウォッシュの末期症状である
- これから起きる「大掃除」は、真の電力システム改革に向けた前提条件になり得る
いま問われているのは、系統用蓄電池を「やる/やめる」の二択ではありません。
どのリスクを誰が負い、どの責任をどこまで引き受けるのか。
その設計を曖昧にしたまま、新しい装置だけを積み上げる時代は終わりつつあります。